(∵)檻のない生活に満足できる人間はどれほどいるだろうか?(鉄鼠の檻 京極夏彦)

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(∵)檻のない生活に満足できる人間はどれほどいるだろうか?(鉄鼠の檻 京極夏彦)

 

どうも「愛知の素直な心(∵)こうじろうのブログ」です。

 

最近読んでる小説でどうしても、気になったので。

とりあえず抜粋。まだ読み終わってないのですが。。。

気がつくと4時になっていた。

何故私は時間を気にするのだろう。

3時が4時でもどこかが変わる訳ではない。

しかし結局は私は今何時か知っていないと落着かないのだ。

いつもより10分早いから、まだ20分あるからと云って安心している。

時間に追われぬ開放感と云うのは時間に縛られてこその開放感である。

私も好んで檻に這入っていたのだ。

そう云うことか。
文庫版「鉄鼠の檻」 京極夏彦 1220p参照

 

まさしくその通り!

的を得ていてすごく心に残った部分です。

この小説をブログに書こうとはまったく思っていなく、て個人的な娯楽として読んでいるのですが。。

あまりにも気になったので記録として残そうかと思いまして書きます。

 

思ったこと。

ストレス社会っていいますよね。

仕事に追われて、家族サービスに、職場の人間関係、近所付き合い、老後の心配、コンプレックス、妬み、恨み。。。などなど。

 

ストレスフリーな社会を目指したとして、檻のない生活に満足できる人間はどれほどいるだろうか?

満足感や充実感、達成感でもいいけどあくまで枠組みがあるからこそのものではないのであろうか。

 

今、目の前に見えているストレスを発生させる原因を片っ端から除いていってもその先に何が見えるのだろうか?

 

仮に、全て除いたときには、なにもないという檻に自ら入り込むのではないのだろうか?

 

脳みそは僕らの内側にあって僕らを外界とつなげている。

けれど、脳みそは器官でしかない。

 

そんな器官でしかない脳みそが機能しないと外界を感知することが僕らはできない。

 

僕らは脳みその檻の中でモガイテイルダケナンダ。

檻から出たらどうなるのかも分かっていながら。

 

所詮、人間なんて神ではない。

全知全能でもないし完璧な生命体でもない。

檻の中の鼠と何も変わらない。

鉄鼠の檻

↑ 写真 鉄鼠の檻 京極夏彦↑

 

京極夏彦さんの百鬼夜行シリーズの1作です。

内容についてはこちらを参照してください。

鉄鼠の檻 – Wikipedia

 

檻から出るのに、もがく為に檻があるのか。

もしかしたら、もがくことが生きることなのかもしれない。。

 

 

 

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