(∵)「真面目ですね」などと言われるので考えた結果、「光の屈折」に似てるなと思った話。

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(∵)「真面目ですね」などと言われるので考えた結果、「光の屈折」に似てるなと思った話。

光の屈折

どうも「愛知の素直な心(∵)こうじろうのブログ」です。

僕はよく「真面目ですね」と言われます。
はたまた、「破天荒ですね」とも言われます。

 

これはどーゆうことでしょうか??

人間は多面的な部分を持っていますね。

 

真面目な部分と不真面目な部分

意欲的な部分と消極的な部分

行動的な部分と非行動的な部分

 

対局的なことって沢山ありますね。

 

でも、不真面目が真面目と取られることもありましょう。

 

例えば、ある大学生が授業に出ないで毎日パチンコに行ってたら同じ学校の生徒に「不真面目だ」と捉えられるでしょう。

しかし、その学生がパチンコ屋で常連仲間のおっさん達にきちんと挨拶して礼儀正しくしていたとします。

きっと、おっさん達は「真面目やな」と言うでしょう。

 

そうか!
受け取り手の環境、価値観によって捉われ方が違うのだな。

各受け取り手、ここでは同じ学校の生徒、常連仲間のおっさんの環境、価値観が違うため捉え方が違うのです。

各受け取り手はある状況での「その時の大学生」しか観察していないので、その場では「真面目そうに見えるだけ」な可能性がありますね。

 

また、その大学生自身がどう「自分を捉えているか」もまた違うでしょう。

自分の捉え方が自分の中で「変われば」また認識も変わります。

 

例えば、プライドが許さない。こんな時ってありますね?

これはプライドを持つにあたった自尊心が傷付くのをおそれているんでしょう。

 

過去に自尊心を持つような経験があるってだけですよ。

ただの経験、記録です。

けして今の自分と同じものではないでしょう。

 

 

なんだか分からなくなってきたので整理して終わります。

認識は

捉える他者の環境によって変わる

捉える他者の価値観によって変わる

捉える自分自身の認識によって変わる

捉える自分自身の過去とは変わっている

 

ここまできたら「この人は真面目だ」なんて断定できません。。

言うならば「真面目そうに見えますね」ぐらいでしょう。
そもそも、「多面的な人間」「言葉という媒体」に変換するのに無理があるのではないでしょうか?

もしくは、誤差が出る。。。

 

結果、「その時その時受け取る人間の、状況によって、角度によって、対象の見え方は変わるもの」でいかがでしょうか?

 

 

なんだか屈折する光みたいですね。

 

 

 

 

 

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