桜の木を切る小学1年生にどう対応したか?アドラー、無知という罪について。

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幼稚園児とのエピソード

アドラー心理学の幸せになる勇気の「無知という罪について」という章にこんな文がある。

線路で遊ぶ子どもは、それが危険なこと知らないのかもしれない。

公共の場で大声を上げる子どもは、それが迷惑なことだと知らないのかもしれない。

その他のどんなことであれ、われわれは誰しも「知らない」という地点からスタートします。

知らないという事実をもって厳しく責めるのは、理にかなわない話だと思いませんか?

幸せになる勇気P87より抜粋

昨日、職場で起こったことはまさにアドラーで言うこんな感じだなぁ、思いました。

このような時に僕はどんな対応をしたのでしょうか?

桜の木を切る事


桜がだいぶ満開に近くなった小春日和な日のお話。

久しぶりに来た工作が大好きなA君(小学1年生)。

早速、のこぎりを使って、せっせとギコギコしております。

ん??あれは生えている桜の木の根っこを切っていないか?

と、気づいた僕はA君の所へ向かい話かけました。

「やぁ、切ってるね」しゃがんでで目線を合わせて声をかける。

「うん。」とA君。

「この木ね、見てみて」つたっていくと桜の花が咲いている。

桜の花を見るA君。

「桜が咲いてるでしょ?この木は生きているんだよね、そして僕は生きている木は切って欲しくないんだ。」

「どう思う?」

ところで、生きてる鳥や豚は切って食べるのに木はダメなのかと言われたら、うーん、となるよなぁ。

とか考えながらA君に伝えると、

「切っちゃいけないということ?」とA君

「いやー、そうではなくて、生きてる木をギコギコしたら痛そうじゃん、花も咲かなくなっちゃうと悲しいと僕は感じるのだけど。」

「どう思うかな?」と聞くと。

「だって、切る木が他にないじゃないか。」とA君。

なるほど、たしかになさそうだ。

「じゃぁ、木を探しに行こうか?」と提案。

「うん。」とA君。

結局、ちょうど適当な材木があったのでそれを切りました。

おしまい。

思う事。

A君はこの流れから他の木を切りに行くことにすごく乗り気だったわけではない。

「切っちゃいけないということ?」と彼が言うように、ルールとして生えてる木を切っちゃダメ、だと解釈したかもしれない。

どう捉えたかはタイミングがあれば聞きたいところだ。

ところで、先にも書いたけど、鳥や豚は生きているものを殺して食べるし、角材だって生きてる木を切って加工してるわけだし。

生きてるものを切ってはいけません!って絶対的な正しいこと(そもそもそんなもの存在しないと思っている)ではないと僕は思っている。

よもや、この木だって元は生きてたんじゃないの!?ってA君に言われたら彼ともっと深く語ってお互いもっと分かり合えたかもなぁ。

それはさておき、生えてる木を切る=悪い行動って勝手に考えて怒っていたら、やめるかもしれないけど。

知らなかっただけで怒られたら嫌な気分になるよね、本当。

終わりに。

今回の件は「知らなかった、他に適当な木がなかったから」切っていたのであって、生えてる木を切ってやろう!なんて思っていなかったわけです。

問題行動(と大人が捉える)をする子供の中には大人を困らせて注目を集めたい、自分を見て欲しい、って子も多いでしょう。

そこらの話はまたなんかエピソードなり機会があったら書きたいと思います。

それでは、また。

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